日本のブドウ栽培は江戸時代から脈々と受け継がれてきたものなのです。
参考文献:最新農業技術果樹 vol.8
日本のブドウ栽培黎明期
日本には数種の野生種がありますが、生食用品種はもともと多くありませんでした。約800年〜1000年前、仏教の伝来の頃に中国から運ばれたものと考えられている、”甲州”が最も古い品種であり、山梨県の勝沼地域で栽培が始まり、江戸時代まで脈々と続いていました、
甲州はその形状から東洋系欧州種と言われていましたが、最近の遺伝子解析により、75%が欧州種由来で、25%が中国の野生種であろうと考えられています。
明治初期の開国を受けて、数百種のブドウの¥品種が欧州や米国から導入され、日本のブドウ栽培が本格的に始まりました、降雨が多く、湿潤な日本の気候では欧州種の栽培が困難を極めましたが、栽培の結果、降雨に耐えた米国種と欧州種の雑種が生き残りました、これが、コンコード、キャンベルアーリー、デラウエア、ナイアガラ、ポートランド、などの品種で、これらが戦前の日本各地に普及しました。
日本のブドウ栽培の父
新潟県の川上善兵衛は、キャンベルアーリーなどの多種の導入普及に貢献し、欧米雑種で生食・醸造兼用の”マスカット・ベリーA”(1990年発表)を作出しました。静岡県の大井上康は四倍体巨大粒種の欧州雑種”巨峰”(1937~1942年頃)を育種しました。この二人の大先輩は日本のブドウの父と呼ばれています。戦後は、静岡県の井川秀雄が”ピオーネ”(1957年交配)を育種し、これらの国産品種が戦後のブドウ産業の急速な発展を支えました。